Ketchup If You Can!

感想とか日記とか。

【感想】「ラストマイル」観ました

うなばらです。

生活にちょっとした一区切りがついたので、仕事終わりにナイトショーで「ラストマイル」を観てきました。

端的に、一人で遅い時間帯に観るもんじゃないな、と思いました。

創作物にぶん殴られるこの感覚を存分に味わうには適切だったかも知れないけど。

でもやっぱり、エンドロールが終わり、照明が付いて、世界がぱちんと現実に切り替わるあの瞬間の「あ”あ”ぁ~」は誰かと共有したいものです。

 

 

以下、ネタバレあります。

 

ハラハラドキドキがあり、それに抗うために奔走する人の熱意があり、またどんでん返しがあり、人が人を想う心があり、、、、物語としては非常に面白かったです。

でも、一人で駐車場までの暗い道を歩きながら内容を反芻し、その救いの無さにどんどん気落ちしていくのが止められませんでした。

なんというか、この世の救いの無さを、わかりやすく綺麗な起承転結にまとめた物語、くらいに思いました。

野木亜紀子さんはこれを描いてくれるから好きなんですけどね。

 

私自身、業種は違いますが、広義では顧客にものを届ける仕事の責任者をしています。

商品の手配や出荷配送に追われる日々です。

「届けた商品そのものや、届け方のシステムについて、問題は無かっただろうか。」

「今週分のトラブルの連絡は来ないだろうか。」

いつも頭の片隅で考えています。

眠れないというほどではないですが、寝つきが悪くなり、早朝に目が覚めてしまう、ということも何度もあります。

なので、「3年目、眠れなくなった。」と語る満島ひかりさんの演技には胸に迫るものがありました。

最後の爆睡シーンはこれに対するアンサーなのでしょう。

ただ、このシーンも若干不穏さを感じたのは深読みしすぎでしょうか。

パトカーでがっつり寝てしまう、肩の荷が下りたことをよく表すほっこりシーンのようでいて、あまりに身じろぎ一つしないので、先の事件を彷彿とさせるものでもあったように思います。

そして肩の荷がおりた、というのもあくまで満島さん(舟渡エレナ)個人にとっての話でしかなく、根っこの問題は依然としてそこにあり、地獄は巡っていく。。。

劇中、岡田将生さん(梨本孔)とはいいコンビに思えましたが、人間がおかしくなってしまう環境に彼を明るく据え置いていく様はゾッとするほど冷徹に映りました。

まぁ彼女が下した決定ではないので、あれ以上を求めるのも酷ではありますね。

 

母子の命を救った洗濯機は資本主義競争の中で既に敗北しており、配送料は100個配ってやっと2000円の値上げ、それを決めた管理職たちが現場に出るのはあくまで数日間のポーズでしょう。

 

物語に救いは望めませんが、強いて言えば、現実への問題提起をしているこの物語の存在こそが救いでしょうか。

せっかくこれを観たのに、その問題について何もできない自分には歯痒さが募りますが。

それでも、苦しんでいる人がいる問題に光を当ててくれる方々が、物語の力を信じているのだから、こうしてしっかり噛みしめて、忘れずにいたいと思います。

【感想】「ハイキュー!!」は漫画が上手すぎる

ハイキュー!!」は多分20周くらい読んでます、うなばらです。

今日は、というか今日から「ハイキュー!!」の話を沢山書いていきたいと思っています。

 

これは私にとっての挑戦です。

私はとにかく物語・フィクションが大好きで、幼少期から本や漫画に多く触れてきました。

自分では思いもつかないようなおもしろい展開や美しい表現を知るのはとても楽しく、今でも最も大切な趣味のひとつです。

夢中で読み耽って明け方を迎えたことに気付いた時、なんというか、生を実感します。

一方、目(脳?)が肥えてしまったのか、自らが書く、ということへのハードルが非常に高く、感想を書き記そうものなら「なぜこんな陳腐なことしか言えないのか、、、」と失望し、消すこと幾回。

口語ならまだいいのですが、とにかく書き残すということが出来ない。

SNSではとても的確に感想を述べている方も多いので、そういった方々と比較して、わざわざ私が感想を言葉にする意味もないな、とも思ったりしていました。

でも変えたいんです。心が動いた、私自身のその感情を大切にしてあげたいんです。

 

なのでその練習として、まずは大好きな「ハイキュー!!」について、少しずつでも感想を述べられたらなと思っています。

以下ネタバレありますのであしからず。

 

 

そもそもなぜ「ハイキュー!!」に惹かれるのか、その理由は多くありますが、最大のそれは漫画表現の巧みさです。

以下、具体的に3つに分けてお話します。

(1)「時間」と「音」の表現について

(2)地続きの過去と現在

(3)タイトルの使い方

 

(1)「時間」と「音」の表現について

基本的に、映像と違って読者の想像力に依拠する本や漫画では、時間と音の表現は非常に難しいものであると考えています。

私の知る限りでこれを最も巧みに表現したのが「ハイキュー!!」なんです。

いきなり言及するのは些か勿体ない気もしますが、やはりこれを語る上で避けては通れないのが、第281話「ハーケン」。

対稲荷崎戦で、日向がアランくんの攻撃を完璧にレシーブする回ですね。

日向のレシーブ遍歴についてはまた別で書きたいところではありますが、まずは時間と音の話を。

 

ハイキュー!!」では集中線や背景の流線が多用されて、試合中の動きの勢いが表現されています。スポーツものだと常套手段ですよね。

「ハーケン」でも例に漏れず、激しい攻撃の応酬を追う中で自然と読むペースも早まっていきます。

月島ブロック→侑ファーストタッチでセット→治スパイク→追う月島ブロック→裏をかかれ、治のセットで侑も超笑顔。ブロックも振り切っての万全の態勢で全国3本指スパイカー尾白アラン!!実況もコマをぶち破る破竹の勢い!!

 

 

 

からの。

ページをめくった瞬間、あ、と時が止まりました。

極度に集中した時の、音が消え、世界がスローモーションになる、あの感覚をこうもリアルに呼び起こされるとは。

一コマ一コマ丁寧に描かれた日向のレシーブは、ゆっくりと、でも確かに流れるようになめらかに繋がっています。

次のページでもこのスローモーションは続き、周囲の一拍ほどの驚きと、雲雀田監督の独白がゆっくりと沁みてきます。

(正直、この監督の独白だけで鼻の奥がツンとしてきます。美しい描写。)

(あと、日向が1年合宿で仲良くなった白鳥沢の1年ズがこのタイミングで五色のタブレットを覗きに来るのも好きです。芸が細かい。)

この表現のため、見開き2ページに渡り、集中線や背景の線は一切排され、コマ同士の間隔も余白が十分に取られているんですよね。

呼吸を忘れるような長い一瞬です。

 

比較して、さらに次のページの、過去のシーンがミチミチに詰め込まれたコマでは、これまでの日向の道のりが一気に提示され、このディグの「意味」が改めて想起されています。

その意味をより一層大きいものにさせる影山の「ナイスレシーブ」の言葉を皮切りに、一気に時間は早さを取り戻し、叫び声も戻ってきます。菅さんの「カウンタアアアァアア」、完全に聞こえます。

 

何度読んでも、時間と音を見事紙面に落とし込んだこの表現力には感動します。

未読の人にも既読の人にも、何度だって勧めたい。ぜひ読んで。

[第281話]ハイキュー!! - 古舘春一 | 少年ジャンプ+ (shonenjumpplus.com)

 

 

稲荷崎戦ばかりですが、第290話「バケモンたちの宴」でも。

大耳さんにブロックされたボールを影山がなんとか触り、それをギリギリで追って指先で上げる月島。でもボールはよりコートの奥へ。

ここも音の無い緊迫のシーンですが、だからこそそれを大地さんが稲荷崎コートへ返した時の、わああと響き渡る歓声が引き立って聞こえるようです。

 

そして最後のその瞬間。

ブロックされたボールがゆっくりとコートに落ちるさまを、銀が、赤木さんが、北さんが。金田一が、穴原先生が、研磨が。

多くの目が見つめる長いその時が終わり、審判の笛をきっかけに、忘れられたようだった時間と音が押し寄せてきます。

[第290話]ハイキュー!! - 古舘春一 | 少年ジャンプ+ (shonenjumpplus.com)

(あとここ、ボールがコートに落ちた瞬間を北さんの瞳の中にしか描かないのも、そのまっすぐな視線を表現していて大好きです。)

 

 

はーーーーーーーーーーーーーーーー漫画上手いな。

相変わらず私の語彙力表現力が全く追いついていませんが、とにかくこの一言に尽きます。

「時間」と「音」、ぜひ意識して読んでみて欲しいです。

 

 

(2)以降はまた次の記事にて。

はえいや、とこれを公開しないと冷静になったら消しそうなので。えいや!

【感想】映画「違国日記」を観ました

こんにちは。うなばらです。

1本目の感想記事からこの内容?という感じですが、映画館で観て以来ずっともやもやと抱えている気持ちについて書き出したかったので取り上げました。

 

元々私は、原作である漫画「違国日記」が大好きです。

多様な登場人物たち一人一人にフォーカスして丁寧に描かれた心情描写、美しい日本語表現、そしてそれらを魅せる漫画の描き方。

他者を尊重すること、踏みにじらないことを誠実に描いてくれている大切な作品です。

(未読の方はぜひ!!)

映像化において全て原作通りとはいかないことは百も承知ですが、原作におけるこの中核の部分がもう少し落とし込まれていたら良かったな、というのが正直な思いです。

以下ネタバレありです。あと記憶で書いてるので違ったらすみません。

 

もやもやポイント①

槙生ちゃんの、「子供は大人の庇護を受けるべき対象」と考えるスタンスについて。

朝に対する個人的な感情とは切り離してこの考えを貫く姿勢が、槙生ちゃんの人となりをよく表していると思っています。

なので映画にて朝が両親の遺体確認をするのに立ち会った(少なくとも反対する場面を入れなかった)時点で、これは全く違う物語なのだ、と察しました。

葬式にて親戚の大人たちに啖呵を切る場面も、15歳の子どもはもっと美しいものを受けるに値する、という表現が好きなので削られてしまって残念でした。

 

モヤポ②

槙生と朝の関係性について。

普通という型に囚われていた実里に育てられた朝が、槙生ちゃんと暮らしてこんなにスムーズにいくわけないでしょうよ~

槙生ちゃんの掃除が苦手発言からの、苦手をフォローし合っていこう、といった朝には仰天しました。

このシーンだけではなく、全体的に朝が柔軟というか、最初から割と相手への尊重ができるタイプの子どもでしたね。

ネットではこの映画をシスターフッド映画と称する感想をいくつか見かけました。

否定するつもりはありませんが、原作を知っている身としては、女たちが平和に笑いあっていればシスターフッドなのか?という疑問はあります。

互いの大切にしているものや持っている世界が違って、それで傷付けあって、どう振舞うべきかを考え、それでも共に生きていくという槙生と朝の生活の積み重ねが、片鱗でもいいので見たかったです。

 

モヤポ③

大学入試差別問題への問題提起の改変について

この点が、本当に一番納得いってません。もはや怒っています。

東京医科大の入試差別問題が取り沙汰されたのは、私が自分の大学入試を終えて数年後のことでした。

高校生の頃の私にはどうしても行きたい大学があり、高3の1年間は多くの時間を勉強に費やしました。

ありがたいことに環境にも人にも恵まれ、友人と励まし合いながらの日々だったのでさほど辛くはなく、今でも充実した時間として記憶に残っています。

無事に希望の大学に進学し、1年生の頃の一般教養の授業ではジェンダー学などもとり、未だ蔓延る社会の不平等な構造について学びました。

ただそれらは、例えば無意識の思い込みやバイアス等を要因とした、無形でゆっくりと変えていくしかないものだと思っていました。(だから許される、ということではありませんが)

それがまさか、絶対的に公正でなければならない大学入試のペーパーテストで、実施側の恣意性に基づいて減点という不正が行われていたなんて。

知った日には、安直な表現ですが、絶望しました。

私は医学部は受験していませんし、差別が明らかになった大学も受験していませんが、そんなことは露ほども関係ありません。

私を構成する一つの要素である女という属性が、ただ「そうである」というだけで、絶対に公正であるべき・公正でなければならない場面にて、正当な評価を受けられない理由となる。

あの日々が、頑張った私が、友人が、ただ女であるという理由だけで全て否定される。

そしてそれが今まで誰にも問題視されなかったという事実。

入試差別問題が明るみになった日、夜のニュースをみるためにいつもは付けないテレビを付けました。入試差別の問題はトップニュースですらなく、番組開始後15分ほど経った頃に短く報道されました。

この社会は私を人間として尊重しない、という簡潔なメッセージはあの日から私に刺さったまま抜けません。

そんな私の絶望を、無力感を、怒りを、悲しみを、描いてくれたのが漫画「違国日記」だったんです。

映画版にて使われた留学プログラムにおいても、千世が女だからという理由で選考を外されたのは明確に女性差別です。ただ、大学入試とではあまりに重みや意味が違います。原作の覚悟を、踏襲して欲しかったです。

 

そしてこれを書くにあたって改めて7巻を読んで。ヤマシタトモコ先生へ。

人生終わってないって言ってくれてありがとう。

私も、世界を、変えたい。